2017/05/07

祝詞と神拝作法について



五月七日になりました。
五月五日より二十四節気では立夏。いよいよ夏ですね。確かに一昨日からぐっとあたたかくなり、汗ばむこともあるくらいです。
七十二侯ではカエルの啼き始める季節です。子供の頃はうちのまわりが田んぼだらけでしたので、夜寝るときはカエルの大合唱が煩いほどだったのが懐かしいです。


カエルを読んだ和歌にこんなものがあります。


蛙鳴く井出(ゐで)の山吹散りにけり花の盛りに逢はましものを                        詠み人しらず (古今集,春下125)



カエルと山吹の花を一緒に詠んだ和歌が多いそうです。時期としては春の終わりを表現しています。山吹とは、ヤマブキイロというように、濃い黄色の可愛らしい花です。



さて、毎週のように「祓い」と「浄化」を二~三回おこなっておりますが、いかがでしょうか? 何か良い変化がございましたらぜひお知らせくださいませ。喜びを分かち合いたいです。


大和撫子塾もお陰様で思ったよりも多くの方に入塾いただきました。ありがとうございます。一年間共に学び、共に人生を楽しむ土台を築いてまいりたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。




ところで本題ですが、ある霊能者の方の本を読んでいて、神社でふたつ柏手を打つと、神様が帰ってしまわれる、との記述がありました。実は、白川伯王家神道(通称:伯家神道)でも、神様をお送りする作法である第八種神拝作法で、胸の前で二拍手をおこなうのです。ですが、神様をお迎えする作法である第九種神拝作法では、顔の前で一拍手、みぞおちの前で一拍手をおこないます。


これらは、神棚の前に備える榊の上げ下げでおこなう作法ですので、神社でお参りするときにおこなうものではありませんが、通常みなさまが神社でお参りするときにおこなう胸の前での二拍手は、やはり神様をお送りするものであるということは間違いありません。



神棚の前で祝詞を奏上する際の方法ですが、このような手順でおこなっております。


火打石で身を清める。

  ↓

祝詞を奏上する場に結界をはる。

  ↓

第七種神拝作法に則り一礼四拍手一礼。(第七種神拝作法は伝授を受ける必要あり)

  ↓

印を組み、祝詞を奏上する。

①三種祓(さんしゅのはらひ) 1回

②身禊祓(みそぎはらひ) 3回

③大祓(おおはらひ) 1回

④一二三祓(ひふみはらひ) 3回

⑤三種祓(さんしゅのはらひ) 1回

⑥一礼

  ↓

第七種神拝作法に則り四拍手。

  ↓

一礼して祈願・決意表明。

  ↓

二礼二拍手一礼。



このような流れですので、二礼二拍手一礼は祈願や決意表明のあとにおこなっているのです。ですから神様が送られてしまっても問題がありません。そう考えてみますと、神社でも祈願や決意表明をおこなったあとに二礼二拍手一礼をした方が良さそうです。



先日いらっしゃった大和撫子塾の塾生様は、神社でお参りするときに「一二三祝詞」を唱えているそうです。そのお話を伺ったとき、数ある祝詞の中で、何故一二三祝詞を選ばれているのかなぁと少し不思議に思い調べてみました。そうしたらこんなページを見つけました。


アラフォー女性におすすめ!「ひふみ祝詞」を唱えて幸せになる方法



普段唱えている一二三祝詞ですが、意味を解説していただけてとても有難いです。ただ、奏上するときに区切る場所と、意味合いとして区切っている場所が少し違うのが気になります。そのうち調べてみたいと思います。



白川伯王家神道では、すべての神拝作法をおこなうのが困難な場合は、三種祓だけでも奏上しなさいと教えられております。三種祓はとても簡単ですので、こちらに記載しておきますね。ぜひ試してみてください。


≪三種祓(さんしゅのはらひ)≫

とほかみえみため

とほかみえみため

とほかみえみため

祓ひ給ひ清め給ふ


読み方としては、

とほーかみーえみーためー

とほーかみーえみーためー

とほーかみーえみーたーめー

はらーひーたまーひーきよーめーたーまーふー

です。



時々神社の本殿に説明書きがありますが、そこに「祓い給え清め給え守り給え幸い給え」と唱えると良いと書かれているところがあります。それに共通するものでしょうか。ぜひ試してみてくださいね。





平成29年4月1日より無料で「祓い」と「浄化」をおこないます。


ネットショップも運営しています。ぜひご覧ください。



2017/02/21

白川伯王家神道における『古事記』解釈


空前の古事記ブームと言って良いほど、日本各地で古事記に関する勉強会や子供向けのお話会などが催されておりますが、『古事記』とは実際のところどのようなものなのでしょうか。『古事記』が記された意図について探ってみたいと思います。


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イギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビー博士の言葉として、このようなものがあると言われております。

「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

ただ、これには疑義を唱える声も湧き起こっており、レファレンス共同データベースにはこのような記載もあります。

下記の資料及びデータベースを調査しましたが、「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という文の出典は判明しませんでした。

なお、資料1、2にご照会の文と類似の文言をトインビーの発言として紹介していますので、参考までにご紹介します。
(【 】内は当館請求記号。データベースの最終アクセス日は2013年1月30日)
資料1
戸松慶議 著. 生存法則論 :日本民族の世界観. 第1巻 (古事記篇). 綜合文化協会, 1959. 【170.8-To462s】
* 「はしがき」のpp.1-2.に、「トインビーは、有史以来人類が作った文化の数は二十六種あり、その内今日残っているものは五種類のみであって、その他の文明はあるものは化石となり、あるものは消滅して形跡もないといっている」(中略)「またトインビーは「中等学校の卒業生にして自国の古典を知らぬ民族は例外なく滅ぶ」と極言している」との記載があります。
ただし、トインビーの発言の出典については記載がありませんでした。

資料2
吉川正文 著. 志士神道と神社. 神社新報社, 1986.10. 【HL11-117】
*p.425に、「「中等教育を終へたる者にして、その国の古語(古典)を解せざる民族は、例外無く滅びてゆく。」とは、歴史学者トインビーの戒めであり、迫害・流離二千年を経ても、ユダヤの民が不滅である根拠の最大なる一つでした」との記載があります。
ただし、トインビーの発言の出典については記載がありませんでした。

■その他の調査済み資料・データベース
・モーリス・マルー 編 ; 島津智 訳. 世界名言・格言辞典. 東京堂出版, 2005.5.【US57-H89】
・岩波文庫編集部 編. 世界名言集. 岩波書店, 2002.5.【KE223-G17】
・梶山健 編著. 世界名言大辞典. 明治書院, 1997.11.【US57-G57】
・国書刊行会 編. 心に響く名言辞典. 国書刊行会, 1992.6.【US57-E99】
・有原末吉 編. 東西名言辞典. 東京堂出版, 1969.【US57-2】

・Oxford dictionary of quotations / edited by Elizabeth Knowles. 7th ed. Oxford University Press, 2009.【KE112-B53】
・Oxford dictionary of modern quotations / edited by Elizabeth Knowles. 3rd ed. Oxford University Press, 2007.【KE223-B5】
・The Oxford dictionary of American quotations / selected and annotated by Hugh Rawson and Margaret Miner. Oxford University Press, c2006.【KE112-B43】
・Bartlett's familiar quotations : a collection of passages, phrases, and proverbs traced to their sources in ancient and modern literature / John Bartlett ; Justin Kaplan, general editor. 17th ed. Little, Brown, 2002.【KE223-B6】
・The Columbia dictionary of quotations / Robert Andrews. Columbia University Press, c1993.【KE223-A10】
・The Harper book of American quotations / Gorton Carruth and Eugene Ehrlich. 1st ed. Harper & Row, c1988.【GH8-A17】
・The international thesaurus of quotations. Crowell, [1970]【KE223-3】

・A.J.トインビー 著 ; 下島連 [等]訳. 歴史の研究 1~25巻. 経済往来社, 1969-1972.【GA32-2】
*第25巻(索引)を「神話」「教育」などで検索し、該当のページのみ確認しました。

・Arnold J. Toynbee. 曽我部 学 訳. 『歴史との関連における教育』の「終章〔アーノルド・J・トインビー執筆〕」の翻訳 (大東文化大学紀要. 人文科学. (41) 2003, pp.341-357.【Z22-826】)
・玉井 友希夫. 歴史家の宗教観--アーノルド・J.トインビー-1-  (横浜国立大学人文紀要. 第一類, 哲学・社会科学 (通号 19) 1973.10, pp.14-19.【Z22-440】)
・小泉 信三. アーノルド・トインビイ (心. 10(2) 1957.2, pp.42-46.【Z23-48】)
・トインビー A.J. 歴史の曖昧性について (経済往来. 8(12)(207) 1956.12, pp.85-91.【Z3-212】)

・国立国会図書館デジタル化資料 ( http://dl.ndl.go.jp/search/detail)
・リサーチ・ナビ 目次データベース ( http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji/
・聞蔵 II ビジュアル (当館契約データベース)
・ヨミダス歴史館 (当館契約データベース)
・毎索(毎日新聞社のデータベース) (当館契約データベース)


その真偽はさておき、白川伯王家神道を学ぶ上でも『古事記』は大変に大きな役割を負っているものです。『古事記』については各方面から学んできましたが、白川伯王家神道を学ぶ中で、まったく考えもしなかった役割を担う存在だったと知り、驚愕しましたので、ぜひともご紹介させていただきます。



古事記とは何か


まずはここからお話しなければならないと思います。白川神道では、明確に「神話」である、と述べられております。「歴史書」ではなく「神話」なのです。また、神道の古典である「神典」であるとも伝えられております。では何故このように物語性よりも、たくさんの神様が入り乱れることを重視する「神話」が出来上がったのか、そこが疑問です。正直、最初はややこしい名前の神様がどんどん羅列されていて、とても読めるストーリーではありません…

これは、言霊学(げんれいがく)という観点から見ると、明白なのだそうです。つまり、初めて現れた天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)から、百神目にあたる建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)までで、言霊を形成する五十音と、その運用方法が説明されているとのこと。古事記とは、言霊の使い方である秘儀を示す暗号文書なのだとか!



言霊学とは


言霊学とは、そもそも大学などの学術機関で研究されている学問ではありません。白川神道などで連綿と伝えられてきた考え方です。712年に完成した古事記ですが、およそ1000年にも及ぶ長い間、隠匿されてきました。江戸期に国学者である本居宣長が登場するまでは、古事記の存在自体が忘れ去られていたのです。そもそも「古事記を解くものは死す」として、古代から秘密を解くものから守ってきた呪いがあったとのこと。それが緩んできたのが江戸期だったそう。その後、明治天皇と書道家の山腰弘道氏が、宮中賢所にあった文書と、昭憲皇太后の生家である一条家に残されていた文書からその法則性を発見し、研究されたとのことです。

『言霊設計学』にはこのような記載があります。

言霊学とは、日本語の各音の持つ潜在的意味や、日本語と日本人の精神性・霊性との関わりについて、それを言語エネルギーの働きとして把握しようとする体感的な学問である。

では、言霊(ことだま・げんれい)とは何でしょうか。



言霊に関する言い伝え


神代より 言い伝えて来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がいけり                『万葉集より』

これは、山上憶良の有名な歌です。奈良時代から、日本人は言霊の国であることを自覚していました。


また、明治5年にヘボンによって初めて聖書が翻訳されましたが、次のようでした。

元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり 言霊は神とともにあり 言霊は神なり。この言霊ははじめに神とともにあり。よろづのものこれにてなれり なりしものはこれにあらでひとつとしてなりしものハなし。これに生(いのち)ありし いのちは人のひかりなりし。『ヨハネ1:1-4 ヘボン1872年訳 新約聖書ヨハネ伝』


言霊の力については、平安時代の歌人である紀貫之はこのように述べております。

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり…

言霊の内在する力について暗示していると言われております。実際に、元寇の際、神風が吹いたと言われ、強大なモンゴル帝国・高麗連合軍を撃退しています。また明治期には、小国である日本が、日清戦争、日露戦争を、奇跡的に勝利することができました。これは偶然の一致でしょうか。


それだけではなく、ヨーロッパ随一の王家といわれるハプスブルグ家のお墓にはこのように書かれています。

アオウエイを制するものは世界を制す

これは本当のことなのでしょうか。俄かには信じがたいです。



古事記の解釈


古事記のすべてについて解釈していくには、あまりにも膨大な量でとても難しいですが、ほんの一部だけ、どのように解釈すると言霊の運用方法について知ることができるのかをご紹介したいと思います。


まず、陰陽のない神アメノミナカヌシが現れます。これは「ウ」を表します。無限であり有限。無限の物と有限の物が存在することを表しています。

次に、タカミムスヒノカミ「ア」とカミムスヒノカミ「ワ」が現れます。陰と陽が出現します。これは母音である「アイウエオ」と半母音である「ワヰウヱヲ」が現れたということです。これらがどんどん分裂し五十音を生成していき、最終的に「イ」と「ヰ」に収束します。イザナギとイザナミの夫婦神です。


イザナギとイザナミの物語で有名なものが、男女の交わりによって子供が誕生するお話です。最初、女性であるイザナミから結婚の申し込みをすると、不完全な子供が生まれてしまいました。そのため、今度は男性であるイザナギから結婚の申し込みをすると、たくさんの素晴らしい神が生まれることとなります。

実はこのお話、母音と夫韻の使用方法の説明になっているそうです。母音であるa,i,u,e,oを先に発音し、あとから夫韻であるk,s,t,n,h,m,y,rを発音しても、新たな子音は生み出されません。必ず先に夫韻を用いることの重要性についての説明になっています。


また、イザナミが亡くなって黄泉の国に行ってしまったとき、イザナギは嘆き悲しみ、黄泉の国まで連れ戻しに行ってしまいます。しかし、イザナミはすでに元のイザナミではなくなっており、イザナギは逃げ帰ることになります。

これも、人は煩悩を知り、煩悩を捨て去ることによって、新たな境地に辿り着けることを説明しているとか。黄泉の国から逃げ帰ったイザナギは、禊をおこなうことで次々と素晴らしい御子を授かります。その極め付けが三貴子(みはしらのうずみこ)である天照大神、月読命、須佐之男命でした。このときの禊にはふたつの意味があり、すべてを削ぎ落とす「身削ぎ払霊」と神の霊(みたま)を注ぎ入れる「霊注ぎ張霊」によって新たな境地を見出します。


などなど、言霊百神と言って、古事記の最初に書かれている神様ひとりひとりに意味があるのです。これらを解明するだけでも膨大な情報量です。



五十音図と鳥居


実は私たちが子供の頃から親しんでいる五十音図にも意味があります。通常使われているのは、横に「アカサタナハマヤラワ」と並ぶものだと思いますが、これが実は現在の弱いものから奪い取る覇道の世界を表しているそう。

「カ」は収納を意味し、「ア」の次に来ることによって、作ってもいないのに奪い取るという世界観を形成しています。本来あるべき姿は「アタカマハラナヤサワ」と並ぶ『天津太祝詞音図(あまつふとのりとおんず)』にならなければなりません。これ、実は「ア」と「ワ」を抜くと、「タカマハラナヤサ」となり、「高天原成弥栄」…高天原が弥栄に栄える、という意味になります。また、「カ」の前に「タ」という「創造」を意味する一音が来ることにより、自ら作り上げたものを収穫するという平和な意味に転じます。

私たち日本人の使命は、天の国である「高天原」を現世に実現すること。それを表しているのが神社です。


神社の鳥居ですが、実はこの「鳥居」は当て字なのだそうです。本来は「十理霊(とりひ)」で、「ア・タカマハラナヤサ・ワ」を表しています。また五十音図の縦のラインである母音の「アオウエイ」と半母音の「ワヲウヱヰ」がそれぞれ「天之御柱(あめのみはしら)」と「国之御柱(くにのみはしら)」である鳥居の柱を表しています。

また伊勢神宮の内宮の建築を「唯一神明造り」といいますが、これは「神の原理を明らかにした構造」という意味だそうです。伊勢神宮を「五十鈴の宮」と言いますが、以前は「磯の宮(五十宮)」とも言ったそう。つまり、五十音そのものを象徴するお社なのです。

伊勢神宮にお祭りしている天照大神は、天照大神を祀るためではなく、私たち自身が五十音の秘儀を身につけ、天照大神と一体となり、根源神である天之御中主をお迎えするために存在しているとか。そのための場所が伊勢神宮なのだそうです。日本語の一音一音に神が宿っているとのこと。言葉を大切にしていきたいものですね。


しかし、最後に言霊によって願いを叶えるときの注意点があります!

実は、私たちは本来の姿である「神」の状態を忘れ、欲や妬みや恨み、怒り、自己否定などなど抱え込んでいるため、言霊の力を発揮することができません。これらをすべて祓い、「中今(なかいま)」の境地に至ることが、神への道の第一歩。これは、仏教でいう「空」の境地。これを掴むことで、自由自在な生き方ができるようになるそうです。